こんにちは、こんばんは、『みう太』と書いて『みうた』と申します!(Xアカウント)
マリオの宿敵『クッパ』が率いるクッパ軍団といえば、ノコノコを始めとしたカメ一族が真っ先に思い浮かびますが、他にも水中を縄張りにしているプクプクや、お城などに住み着いたおばけのテレサなども軍の一員で、その顔ぶれは非常にバラエティ豊かです。
中でも『キラー』や『ボムへい』といった兵器のようなキャラクターは、大砲から絶え間なく発射され続け、その我が身を顧みない爆発攻撃に、これまでマリオも幾度となく苦しめられてきました。
今やマリオシリーズの爆弾といえばボムへいで、アクションゲームだけでなく『マリオパーティ』のミニゲームや、『マリオカート』のアイテムとしても登場しており、もはや「キャラクター」の枠に収まらない活躍を見せています。
その性格は「命知らずのバクダン野郎」…?
そんなボムへいといえば、一見すれば可愛らしい見た目をしていますが、爆弾らしく突撃からの自爆を得意技としていて、まさに「捨て身」なその一撃は、時に周囲の地形を変えてしまうほどの破壊力が秘められていました。
その特徴は、1988年発売の初登場作品『スーパーマリオブラザーズ3』の頃から健在で、マリオが踏むとしばらく動きを止め、直後に広範囲の爆発を引き起こすのですが、この爆発は他の敵も巻き込むほどの威力で、うまく利用すれば攻略に役立てることも可能でした。

まさに「自立した爆弾」といえるボムへいですが、爆発したボムへいは当然ながらその場から姿を消してしまうので、2000年発売の『マリオストーリー』でもクリオに「命知らずのバクダン野郎だ」と説明されています。
しかし「爆発」が本当に自分の命を投げ打っての攻撃だとしたら、生物としてあまりに難儀な生態をしているので、今回は「爆発した後のボムへいはどうなっているのか?」について考えてみようと思います!
「生物」と「兵器」の二面性を持っているボムへい

そもそもの前提として、ボムへいは「生物」なのか「兵器」なのかを考えてみると、あまり設定が深く決められていなかった古いタイトルでは、あくまでクッパ軍団の用いる「自立型兵器」という印象が強かったようです。
例えばボムへいのデザインひとつをとっても、丸くて黒いボディに導火線とゼンマイが付いていて、さながら「爆弾のおもちゃ」のような見た目をしていました。特にゼンマイがあるということは、ボムへいが自然に生まれた生き物ではなく、誰かによって作られ、ネジを巻かれた人工物であることの象徴のようにも思えます。
もしボムへいが感情のない兵器なのだとすれば、クッパたちにとっては「団員」というより「道具」であり、使い捨ての弾薬として扱うのも普通のことで、戦車や大砲から無数に発射されていたのも不思議ではありません。

一方でボムへいが「生物」として描かれる作品も複数あって、例えば『スーパーマリオ64』では友好的な種族『赤ボムへい』が初めて登場しました。赤ボムへいは爆発や戦いを嫌っていて、マリオにも大砲の使い方を教えてくれたりと心優しく、兵器のような無機物さはほとんど感じませんでした。
『マリオストーリー』ではさらに自我が強く、「ノコノコ村」で暮らすボムへいたちは友人とお話を楽しんだり、女の子のボムへいに恋をしたり、他のキャラクターと同等の社会性を持った生物として描かれていて、この頃から「兵器」というイメージもかなり薄れていたのではないかと思います。
特に仲間として加入するピンク色のボムへい『ピンキー』は、マリオやクッパにも物怖じしない勝気な性格をしていて、マリオと結ばれた絆も強く、続編の『ペーパーマリオRPG(リメイク版)』ではマリオの自宅に仲間たちとの記念写真も飾られていました。

これだけの描写があれば、ボムへいも十分「生物」といえそうなのですが、それでも少し判断に悩む要素が『スーパーマリオRPG』のボス『ペパット』で、彼は爆弾職人として自らの手で作ったボムへいを携え、マリオに勝負を挑んできます。
つまりボムへいは自然的に発生する生き物ではなく、誰かの手によって生み出された人工物であることを裏付けていて、そうなるとやはり「心を持った兵器」という表現がもっとも近いのかもしれません。
実際にボムへい対してマロが「なにかんがえてるの」を使うと、「あぶないよ。はじけちゃうよ。いたいよ。」と表示されるので、ペパットに作られた存在でありながら、自分の考えを持っているのは間違いないようです。
爆発してもいなくならない『マリオストーリー』の表現

心がありながら、幾度となくマリオに自爆特攻を繰り返していたボムへいは、『マリオストーリー』のクリオにも「命知らず」と言われていて、爆発はまさに我が身を顧みない「一度限りの大技」でした。
ところが『マリオストーリー』のボムへいは、これまでのシリーズと異なる表現で爆発が描かれていて、例えば仲間の「ピンキー」が戦闘中に「バクハツ」したとしても、ピンキー自身は勢いよく画面外に飛んでいくだけで、特にダメージを負うこともなくその場に戻ってきます。
これは「ノコノコ村」に暮らしているボムへいたちも同様で、彼らが会話の最中に爆発したとしても姿は消えず、ボムへいの中心から爆風が発生しているだけのような描写がされていました。

これまでのマリオシリーズでは、ボムへいが爆発すると爆発音とともに姿を消し、あたかも命を失ったかのような印象を与えてきましたが、マリオストーリーの描写を踏まえると、あくまで「ゲーム的な表現」として画面から姿を消していただけで、本当に命を投げ打っていたわけではないのだと推測できます。
つまりボムへいにとって爆発とは「命の終わり」ではなく、一時的にゲームから消滅はしているものの、プレイヤーの見えないところでその体は生きていて、だからこそ爆発にもためらいがないのではないかと思います。
近年ではクッパ軍団のみならず、マリオやルイージでさえギミックとしてボムへいを利用する場面が増えていますが、やはり「命を奪っていない」からこそ、マリオたちも気兼ねなくボムへいが使えるのかもしれません。
マリオの分かりやすい基準は「人を殺さない」

思えばマリオの世界は「死」の概念が基本的に描かれておらず、肉体を失ったとしても「テレサ」や「カロン」といった、アンデッド系のキャラクターに姿を変えて蘇ることさえ珍しくありません。
1981年にアーケードで稼働したゲーム『ドンキーコング』では、ラストステージにおいてマリオが組み立てられた鉄骨のビスを抜き、工事現場に居座るドンキーコングを転落させるのですが、地面に激突したドンキーコングからは天使の輪が浮かんでいて、あたかも命を奪うかのような表現がされていました。
しかし過去の雑誌のインタビューによると、もともとマリオとドンキーは敵同士ではないため、ドンキーを殺すのではなく、「知恵を使ってイタズラ者の気を失わせる」のがテーマだとコメントされていて、いわば天使の輪も「やっつけた」という分かりやすい表現に過ぎなかったようです。

また、任天堂のデザイナーである小田部羊一さんによると、生みの親である宮本茂さんは過去に「マリオは人を殺さないんですよ」と言っていたらしく、それが今ではひとつの分かりやすい基準として浸透しているともコメントされています。
そもそもボムへいに限らず、この世界では幾度となくマリオがドッスンに押しつぶされたり、クッパがマグマの海に落とされたりしていますが、どのキャラクターも平然と復活していて、「命を落とす」ような素振りはまったく見せていません。
マリオがミスをしてしまった場合、自然とセーブ地点に巻き戻されているように、自爆したボムへいも人知れず彼らの「セーブ地点」まで巻き戻されていたりするのかもしれません。
ボムへいにとって「爆発」は当然のこと
というわけで今回は、「ボムへいが爆発した後どうなっているのか」を考えてみましたが、「命知らず」と言われながらも本当に命を粗末にしているわけではなく、あくまで能力を発揮した結果、その場から一時的に姿を消しているだけ、という可能性が高そうです。
今やボムへいはただの兵器ではなく、しっかりと自我を持った「生物」として描かれていて、意外にもクリボーやノコノコと大差ない暮らしをしていたこともありました。

もはやマリオの世界にボムへいがいるからこそ、ゲームに普通の爆弾が出てこないくらいのレベルで、思い返せば『マリオカート』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』などに出番があるのも、その分かりやすい個性の賜物といえます。
ただ、どれだけ強力なボムへいでも基本的には「爆発で消滅」してしまうので、存外ボスキャラクターに使いにくく、『スーパーマリオ64』の「ボムキング」がまったく爆発しないのも、その辺りの事情があったのかもしれません。
コメント